2024.03.29 (金)

銅匙 未使用で保管 作法や習俗 適合しなかった?

 

 昨年11月下旬から1か月間、学術交流協定における在外研修のため、韓国の国立慶州博物館に滞在した。慶州は新羅の都があった地で、市内には古墳や遺跡、寺院が点在するとても魅力的な街だ。

 

 ひと月も滞在すると、韓国の人々の生活スタイルにも目が留まるようになる。中でも気になったのは、食作法だ。日本では食器を持ち、汁物はわんに口を付けて飲むが、韓国では食器を持たず、汁物はスッカラというスプーン(さじ)で飲む。スプーンは我々にも()()みのある用具だが、スッカラは柄(持ち手)が長く、そしてすくう面が比較的平たい。柄が長いのは、食器を持たない食作法によるのだろう。

 

 現地の方に「(ぶ)(さ)(ほう)(もの)」と思われたかもしれないが、筆者は習慣的についつい食器を持ってしまった。すると、スッカラがうまく使えない。食器を持った場合では、スッカラの柄が長すぎるのである。やはり用具の大きさや仕様は、その国や地方、民族の生活スタイルに適合しているのだ。現代でも、たとえ最新の商品であっても自分の生活スタイルに合わない商品はなかなか定着しないものである。

 

 このようなことが、今から1300年前にもあったのかもしれない。正倉院には、朝鮮半島・新羅からもたらされたとされる金属製の匙が約350本伝わっている。これらの匙の中には、なんと8世紀にひもくくられたままの状態で今日に至った個体もあるのだ。未使用品が保管された経緯として、例えば日本へ持ち込まれたどうのさじが日本の儀式や作法、習俗に適合できず、その結果、一度も使われることなく保管されてきたと想像すると、現代を生きる我々に通ずる人間味を感じさせる。

 

 

(奈良国立博物館学芸部研究員 伊藤旭人)

 

8世紀にくくられたまま伝えられた正倉院宝物
「銅匙 第1号」(第70回正倉院展図録より転載)

 

  

[読売新聞(奈良県版・朝刊) 2024年3月14日掲載]

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