2023.07.05 (水)
古代の予言 思いはせ 藤原定家 書き記す
聖徳太子が、亡くなってから数百年経った頃、予言者として脚光を浴びるようになったことはご存じだろうか。
嘉禄3年(1227年)に書かれた貴族の日記によると、太子の墓所近くから、瑪瑙石に刻まれた予言書が掘り出されたという。予言にいわく、86代目の天皇の世に、東の王が国を取る。閏月が3月の年、西の王が国を従え、世の中が豊かになる。賢王の世が30年を過ぎると、空から大猿と狗が降り、人類を喰う、云々。冒頭を読んだ当時の誰もが、6年前の承久の乱を想起しただろう。
この出来事を日記に書いた人物は藤原定家。後鳥羽上皇のもとで新古今和歌集を編んだ、史上屈指の歌学者だ。予言書に対する定家の態度はいかにも学者らしい。情報の出所によって文章が異なる箇所を確かめ、末代には土を掘るたびこのような文章が出現するものだと、疑いの目を向けている。事実、この前後にも同様の予言書が何種か出現しており、それらは研究者の間で「聖徳太子未来記」と呼ばれている。
筆まめな定家が書き残した日記を読んでいると、さながら当時の新聞であるかのような気分になる。もちろん、歴史資料には様々な情報のバイアスがかかっていて、そのまま事実として信じることはできない内容もある。しかし、不確かな未来に不安を抱き、謎めいた古代の予言書を疑いつつも、やはり抑えきれない好奇心——そんな人々の心性は、今も昔もさほど変わりはないのかもしれない。
(奈良国立博物館美術室研究員 樋笠逸人)
[読売新聞(奈良県版・朝刊) 2023年6月28日掲載]