2023.03.08 (水)

修理技術者 奈良で誕生「岡倉、新納の理念伝える」

 

 今月21日から当館西新館において、昨年度までに当館の文化財保存修理所で修理を終えた作品のお披露目の特集展示「新たに修理された文化財」を開催しています。

 

 多くの方は文化財修理の本場は京都や東京とお考えなのではないでしょうか?事実、その二つの地域は昔から多くの職人が文化財修理を行ってきましたし、現在も幅広い分野で多くの修理技術者が活躍しています。また、修理を支える材料や道具の製作者の多くも活躍しています。しかし、日本の修理技術者の歴史は京都でも東京でもなく、奈良から始まっているのです。

  

 当館に併設している文化財保存修理所には彫刻、漆工、装潢(そうこう)の三つの分野を専門とした工房が作業をしているのですが、主に彫刻を専門とする工房は“岡倉天心が生み、新納忠之介が育てた”と言われる公益財団法人美術院国宝修理所(以下、美術院)が2002年から構えています。

 

 現在の美術院の拠点は京都ですが、設立当初は当館から近い東大寺勧学院に事務所(美術院第二部)を構えて各地で修理を行っていました。1901年(明治34年)から行われた東大寺三月堂諸仏の修理事業を前にして、岡倉と新納とで交わされた会話が文化財修理の理念として今日まで伝えられています。

 

 岡倉は新納に修理事業を依頼しますが、仕事の難しさを察した新納は固辞します。それに対し岡倉は新納に「むつかしい事をやるのが研究家の仕事ではないか。古社寺保存は研究するのが眼目である。決して職人になってはいけない、従って貴殿らにやって(もら)うのは研究的なものでなくてはいかぬ」と諭します。その言葉を受け、新納は三月堂諸仏の仕事に決死の思いで取り掛かったのでした。

 

 当時から文化財の修理は職人が行うものではなく、伝統技術に新しい研究成果を取りいれた修理技術者が行うものだったのです。

 

 

(奈良国立博物館保存修理指導室長 荒木臣紀)

 

[読売新聞(奈良県版・朝刊) 2023年2月22日掲載]

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