2023.02.15 (水)

文化財修理を支える 古糊の仕込み

 

 雪もちらつく大寒(だいかん)の1月21日、文化財の修理工房である坂田墨珠堂(大津市)の「(かん)糊炊(のりた)き」に参加させていただいた。 

 

 1年に1度、大寒の時期に各工房で仕込みの行われる古糊(ふるのり)は、書画を掛軸や巻子(かんす)に仕立てる際に伝統的に用いられてきた特別な接着剤である。

  

 小麦の澱粉(でんぷん)と水を深い鍋に入れて火にかけ、焦げつかないように交代でかき混ぜながら1時間弱。とろみのついた糊は重たく、不慣れな筆者はほんの短時間混ぜ続けるだけでも一苦労であったが、半透明に輝く糊が美しかった。これを大きな(かめ)がいっぱいになるまでくり返し、作業は朝から夕方まで続けられた。 

 

 こうして今回炊きあがった糊が使用されるのはなんと10年後。工房の床下で長い時間をかけて熟成することで、適度に粘着力の弱まった古糊となる。

 

 そもそも掛軸や巻子とは、絵画や文字の表された絹や紙(本紙(ほんし))単体ではなく、本紙の裏に複数枚の和紙(裏打紙(うらうちがみ))を貼り重ねて補強し、(きれ)(ひも)で装飾を施した複合体なのである。

 

 本紙と裏打紙の接着に古糊を用いることで、しなやかな巻き伸ばしが可能となり、本紙の負担を少なくすることができる。また、数十年から数百年後に再修理を行う際にすっきりと剥がすことができるのも、適度な粘着力の古糊ならではだ。

 

 この製法を連綿と守り伝えた人々のおかげで、10年後の修理、そしてその未来の再修理までもが支えられている。実に頭の下がる思いだ。

 

 当館では、2月21日から3月19日にわたって、特集展示「新たに修理された文化財」にて、近年修理が完了した文化財のお披露目を行う。修理技術者たちの技の粋は言わずもがな、修理に用いられた貴重な材料のひとつひとつにも注目していただきたい。

 

(奈良国立博物館学芸部美術室研究員 松井美樹)

 

10年後の文化財修理のため、炊きあがった糊を大甕に入れる

[読売新聞(奈良県版・朝刊) 2023年2月9日掲載]

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