2022.11.30 (水)
信仰の拠点で往時思う 経典が奉納された大山
奈良国立博物館の所蔵品に重要文化財「法華経(色紙)」という、巻によって異なる色の紙を使った平安時代の写経(8巻)がある。各巻の巻末には「奉施入大山権現 三院学頭 西明院々主真林房増運」のような奥書があり、この写経が伝来の過程で一時期、大山(鳥取県)にあったことが分かる。
霊山として知られる大山の中腹には、今も大山寺があるが、中世には一帯に100を超える寺があり、地域別に西明院谷、南光院谷、中門院谷の三つに分かれ活動していた。法華経の奥書は、西明院の院主で三院を代表する学頭でもあった真林房(増運)が、この法華経を大山権現に施入したことを意味する。
初めてこの奥書を目にした十数年前から、いつか大山を訪れ三院の故地を踏査したいと願っていたが、ようやく今年それが実現した。大山寺へのメインの参道となっているのはかつての中門院谷で、門前の茶屋などが軒を並べる。南光院谷は、中世以降、川の流路の変化に伴い大部分が河原となって、今は釈迦堂の跡などが残るのみ。西明院谷は、室町時代建立の阿弥陀堂(重要文化財)が立つなど、古い雰囲気をよく残す。
中世の大山が仏教信仰の一拠点であったことは知識としては得ていたが、やはり現地に立つと新たな発見と気づきがある。真林房は、どのような祈りを込めて法華経を大山権現に奉納したのか、河原になってしまった南光院谷の住僧はそのとき何を思ったか。曇天のため大山の頂を拝することはできなかったが、大いに刺激を受けた一日であった。
(奈良国立博物館学芸部資料室長 野尻忠)
[読売新聞(奈良県版・朝刊) 2022年11月23日掲載]