2022.09.01 (木)
奈良ゆかり 椿井仏師作 調査の成果 寄託品へ
この阿弥陀三尊像(個人蔵)は2年ほど前から、なら仏像館の展示に加わった。きっかけは昭和45年(1970年)に当館が発行した「室町時代仏像彫刻―在銘作品による―」に掲載されたことを記憶していた現所蔵者からの電話だった。
すぐさま調査に赴いた。興福寺に近い椿井郷を拠点とした椿井仏師の次郎が天文3年(1534年)に造った旨の墨書を確認し、江戸時代まで大和国多武峯の妙楽寺(明治時代初頭の神仏分離後に談山神社と改称)に伝来していたとの重要な情報も得た。小像ながら手堅い作風をみせる本像は、奈良ゆかりの作品を展示収集の柱にしている当館にふさわしく、手続きを経て寄託品となった。
阿弥陀如来が室町時代には珍しい説法印を結ぶ点も目をひいた。かつて妙楽寺の講堂には、文明5年(1473年)に椿井春慶が造った阿弥陀三尊像が本尊として安置されていたことが知られ(「尋尊大僧正記」に記載)、これを寛文8年(1668年)に再興したとみられる説法印阿弥陀の三尊が神仏分離に際して妙楽寺を離れ、現在は桜井市の安倍文殊院に伝わっている。
このことから春慶作の三尊も説法印を結ぶ姿だったと考えられ、春慶の2代後にあたるとみられる次郎は本像の制作にあたり、椿井仏師の先例である妙楽寺講堂本尊を直接参照した可能性が想定できる。失われた春慶作の阿弥陀三尊像の面影を伝えているとすれば、本像のもつ意味はますます大きくなるだろう。
(奈良国立博物館主任研究員 山口隆介)
[読売新聞(奈良県版・朝刊) 2022年8月24日掲載]