2022.03.30 (水)
名古屋と奈良の縁 故郷の篤志家 仏像むすぶ
筆者の出身地・名古屋では、歴史上の有名人といえば三英傑、すなわち信長・秀吉・家康の3人。幼い頃は戦国武将の逸話でも十分「むかし」という感覚で育った。奈良博に勤めてからは、館蔵品や寄託品、毎年接する正倉院宝物はもちろん、住まいの近くも古代の文化財に恵まれ、故郷を歴史的な目で見ることは少なくなっていった。それが最近になり、地元の篤志家と奈良の歴史との深い関係を知った。
なら仏像館では昨秋から、ともに個人蔵の普賢菩薩坐像(10~11世紀)と不動明王二童子像(12世紀、二童子像は江戸時代)を展示している。
これらは修験道発祥の地として知られる吉野に伝わった仏像だが、明治時代の神仏分離を経て困難な状況にあった桜本坊(吉野町)の諸堂の修繕費用をまかなうため、1919年(大正8年)に両像を含む70体あまりが名古屋の綿糸商・近藤友右衞門(二代)に譲り渡され、多額の寄付が納められた。その一部が今回、奈良の地に戻ったのだ。
初代・友右衞門は名古屋市中区伏見に私財を投じて浄土真宗の説教道場を開くなど信心厚く、釈迦の在世に祇園精舎を寄進した裕福な在家仏教者「須達」に例えられるほどだった。敬信の心は二代やその後にも受け継がれ、初代が始めた仏教講座は東別院(真宗大谷派名古屋別院)に場所を移して130年余りも続けられているという。
「大いなる田舎」とやゆされることもあるが、友右衞門の偉業のおかげでふるさとへの愛着が久しぶりによみがえった。そして仏への信仰は時代や地域、宗派を越えることを改めて感じたのだった。
(奈良国立博物館情報サービス室長 宮崎幹子)
(読売新聞 2022年3月23日掲載)