2021.12.01 (水)

苦労重ね 可能性探る 古代人名の読み

 日本人の姓名(名前)の漢字の読みは難しい。現代でも難しいのに、奈良時代(8世紀)のそれを読もうとすれば、それなりの苦労が伴う。図版は、743年(天平15年)の写経所文書の一部。写経所職員の姓名と、彼らが一か月間に写経した紙数が書かれている。

 

 最初の「林浄道」は、現代にも実在しそうな漢字名で、当時は「はやしのきよみち」と読んだであろう。次は「忍坂(おしさかの)(なり)()()」、さらに「()(りの)秋田(あきた)」、「櫟井馬甘(いちいのうまかい)」と続く。末尾の「許知蟻石」は、一見難しそうだが、同一人物が他の文書では「許知在石」「己知蟻羽」「己知阿利波」などと表記されており、「こちのありは(わ)」と読んだらしい。

 

 さて、先頃閉幕した第73回正倉院展に出展された「続修正倉院古文書第十巻((やま)(しろ)愛宕(おたぎ)計帳(けいちょう))」にも、天平4年当時の人名が数多く書かれ、展示ではその一部をキャプション(展示説明)で示し、すべての漢字にふりがなを付けた。

 

 この中で最後まで迷ったのが「依当麻呂(まろ)」という人物の姓(名字)「依当」の読みであった。ある辞書を引くと、「依当」は、「依網」と同じく「よさみ」と読まれていたが、()に落ちなかったため、他の可能性を探った。

 

 まず、この人物が住む「愛宕」郡は、「愛当」とも表記されたことがすでに知られている。次に、平安時代の出雲国に「隠地(おち)」という郡があり、これが奈良時代には「役道」郡、飛鳥時代には「依治」郡と表記されたことも分かっている。「依」字で表記される音は、後の「お」に通じるようである。

 

 以上を根拠に、今回は「依当」を「おたぎ」と読んでみた。果たしてこれで良かっただろうか。

 

(奈良国立博物館資料室長 野尻忠)

 

「写一切経所解案(しゃいっさいきょうしょげあん)」
(部分、奈良国立博物館蔵)

(読売新聞 2021年11月23日掲載)

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