2026.02.17 (火)

秀吉造らせた金銀銭 永楽通宝と天正通宝

 今年の大河ドラマは、豊臣秀吉と秀長の兄弟が主人公ですので、それにちなんだ文化財調査のお話をひとつ。

 

 秀吉は、織田信長の指示で1577年(天正5年)秋に、播磨(兵庫県南部)と但馬(同県北部)を攻め、80年(同8年)頃には制圧しています。褒美として日本有数の銀山である生野銀山(兵庫県朝来市)の管理を任されたようで、本能寺の変での信長の死後はこの生野銀山が秀吉の重要な財源となり豪華けんらんな桃山文化が花開きました。

 

 戦国時代は日本に独自通貨がなかったので、中国から輸入した永楽通宝などの銅銭が用いられていました。永楽通宝は今の価値で1枚が50~100円となります。この永楽通宝には金と銀で造られたものがあり、秀吉が87年(同15年)に島津征伐の褒賞用として造らせたものとされています。ほかに、当時の年号をとった天正通宝の金銭と銀銭も存在し、同年に秀吉が造らせたものと言われています。

 

 これらの金銀銭に対し、素材に含まれる元素の種類と量を知ることができる蛍光X線分析調査を所蔵者である泉屋博古館と一緒に行いました。永楽通宝の金銭は金が約7割で銀が3割弱、銀銭は銀が9割以上で少量の不純物を含む打製のもの(たたいて造った)ものと、銀が8割弱で銅が2割ほどの鋳造のものを確認しました。

 

 また、天正通宝の銀銭は銀が9割以上で少量の不純物を含む打製のものを確認しました。この天正通宝銀銭には、生野銀山で特徴的な元素を含むことが確認され、秀吉が生野銀山の銀で造らせたことが科学的に裏付けられたのです。

 

 博物館の裏側ではこのような調査や研究がおこなわれており、歴史の裏付けや新たな展示につながっているのです。

 

 

( 奈良国立博物館保存修復室長 鳥越俊行)

[読売新聞(奈良県版・朝刊) 2026年2月11日掲載]

 

永楽通宝金銭の表(左)と裏(泉屋博古館所蔵)

一覧に戻る