2021.03.31 (水)

身近に接し 得る学び リモートに欠けていること

 今日、リモートを導入していないと時代遅れのように言われる。展覧会場に足を運び、展示品を見てもらうのが前提の博物館も、様々な形でリモートを実施している。映像での鑑賞は展示会場よりもよく見えると、おほめの言葉をいただくこともある。遠い外国の博物館も、リモートなら瞬時に訪問できる。しかし、リモートは普及活動の一つであり、博物館の本質は現地での実物鑑賞であることは今後も変わらないと信じている。

 

 登校して教室で授業を受けるのが当たり前であった学校にも、リモートが導入されている。学校に行かなくとも聴講できる柔軟性は、コロナ後も持ち続けるべきとの指摘も耳にする。受講スタイルに選択肢が増えるのは良いことだ。

 

 筆者は大学で授業を担当しているが、この1年は大半がリモートだった。そのため、学生の顔と名前が結びついていない。質問もなければ、研究の悩みを聞くこともない。大事なものが、教育の現場から失われている。

 

 そう感じるのは、教師との何気ない雑談が、人生にとって大きな(かて)になることもあるからだ。筆者は博物館で、自身の発案になる特別展を数本開催した。その中には、大学時代の恩師が発した一言が原点の企画がある。一例をあげれば、2018年の特別展「糸のみほとけ」がそうだ。恩師の一言は「繡仏(しゅうぶつ)(刺しゅうの仏)は古代では彫刻以上だった」というもので、授業ではなく雑談中(あるいは酒席だったか)に聞いたように思う。意外に感じたせいか、ずっと胸に刻まれている。

 

 目上の人に会うことを「謦咳(けいがい)に接する」という。身近に接することを(せき)がかかることにたとえたのだ。今日、嫌われ者の咳であるが、恩師の「謦咳」から得たものは多い。

 

(奈良国立博物館学芸部長 内藤栄)

 

刺しゅうと織物の仏像の名品を集めた「糸のみほとけ」展会場(2018年、奈良国立博物館で)

(読売新聞 2021年3月23日掲載)

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