2021.05.04 (火)
展示作品に思う 神聖さ 博物館内での写真撮影
金峯山寺仁王門(吉野町)の修理が行われている間、奈良国立博物館では同寺の金剛力士像(仁王)が展示されている。普段は屋外の仁王門にあるため、撮影されるのは日常的なことだろう。これもあって、珍しいことに、展示室で仁王の写真を撮ることが許可されている(ただし、一緒に記念撮影するのは不可)。
日本の博物館では作品の写真を撮ることは許可されないことが多い。しかし、簡単に写真が撮れる携帯電話の登場により、世界では博物館に行って展覧会を鑑賞する体験が一変した。お気に入りの作品を撮ることや、傑作の隣で自撮りするのが、多くの人にとって博物館に行くことの醍醐味になったのだ。博物館を出て帰ったら、携帯の中の写真を改めて見ることで自分の体験を再現し、作品のあれこれを思い出すこともできる。
もちろん、作品の写真を撮影することの欠点もある。作品の前に立って静かに作品を鑑賞したいのに、周りが写真を撮り始めると気が散ってしまい、作品鑑賞の邪魔になることもある。私は、寺院に安置されている仏像は絶対に撮影しないけれども、写真撮影に関して厳しく禁じる日本の博物館は、展示作品にも神聖さがあることを思い起こさせる。
一方で、自分が撮った作品の写真には、作品の姿だけではなく、自分が本物の作品と向かいあっていた、あの瞬間の痕跡が残っている。これは江戸時代の巡礼者が仏像や神像を参拝した際、像のお札を集めて帰ったことと、やや似ているように思われる。携帯の中の写真は、巡礼での仏像との結縁を表すお札のように、自分と作品とを結び付けてくれる。
(奈良国立博物館情報サービス室研究員 メアリー・ルイン)
(読売新聞 2021年4月27日掲載)