2026.06.10 (水)
近代の仏像保護へ結実 権現さまの導き
2022年3月の本欄で、名古屋の実業家・近藤友右衞門(2代)が1919年に吉野の櫻本坊再建のために多額の寄付を行い、謝礼として多くの仏像を譲り受けたことを書いた。その後、近藤にわたった仏像のうち不動明王および二童子立像と普賢菩薩坐像、天王立像が縁あって当館の館蔵品に加わり、開催中の特別展「吉野・大峯」に出展されると共に、山を下りてきた神仏たちと100年以上の時を経て再会した。
同展では、当館研究員と日本通運作業員が大峯山寺から蔵王権現像を背負って下山する映像が話題となったが、近藤も譲与された仏像を修理のために牛車10台余りを使って吉野から奈良市街へ運んでいる。神仏への信仰を後世まで伝えたい、という厚い思いは両者に通じているのだろう。
近藤には、軽井沢にある旧碓氷峠見晴台と遊覧歩道を原野から開発したという事績もある。見晴台は長野と群馬の県境に位置し、夕陽が赤く映える「サンセットポイント」と呼ばれて避暑地の人々に親しまれている。近藤は軽井沢の別荘地を拓いてまちの基礎を作った野澤源次郎という貿易商と婚姻関係にあり、自身も別荘持つうちに見晴台を整備するに至ったのだ。この地は3代友右衞門の時代に地元へ寄贈されている。
ところで、見晴台の北、標高約1200メートルの碓氷峠頂上には熊野皇大神社があり、ここにも近藤が寄進していたことを最近知った。ヤマトタケルが熊野から勧請したと伝わる古社で、江戸時代までの史料には「熊野権現」と記されていたという。熊野は大峯奥駈道を吉野から本宮に向かう「逆峯」の終着地である。近藤への仏像譲与には熊野権現の導きもあったのか、と神仏の深い縁に感慨を新たにしたのだった。
( 奈良国立博物館文化財課長 宮崎幹子)
[読売新聞(奈良県版・朝刊) 2026年6月3日掲載]
s.jpg)