2025.10.22 (水)

平安期建立の2塔 東西の礎石 盛衰の跡

 暑く長かった夏もようやく終わり、景色も空気も秋めいてきました。奈良国立博物館周辺を闊歩する鹿たちにとっては恋の季節。にぎやかな鳴き声だったり、駆け足で移動する鹿たちが多かったり。なんだかそわそわした様子です。

 

 そんな秋が深まる当館敷地の一画に、ロープで区切られ、こんもりとした盛り上がりが、東西に2か所並んでいます。この場所、人が立ち入れないようにした鹿たちの憩いの場ではなく、かつては春日大社に属していた塔の基礎部分で、重要な遺跡なのです。

 

 塔の歴史を紐解いてみましょう。まず永久4年(1116年)に、時の関白であった藤原忠実の発願により、西塔が建てられました。次いで保延6年(1140年)に、鳥羽上皇の発願によって東塔が建てられました。建築の発願者により、西塔は「殿下御塔」、東塔は「院御塔」とも呼ばれました。

 

 「春日社寺曼荼羅」に描かれるその姿は壮麗で、興福寺五重塔とほぼ同じ50メートルほどの高さだったと推測されています。興福寺五重塔と、両塔が並びたつさまは、さぞ迫力があったことでしょう。

 

 両塔は治承4年(1180年)の平重衡による南都焼討ちに伴って焼失し、その後に再建されました。しかし、15世紀には雷によって再び焼失。以後、再建されることはありませんでした。

 

 ちなみに、地面に残る礎石は焼失した当時のもの。秋風に吹かれつつ、静かにたたずむ礎石から、この地の盛衰に思いをはせてみてはいかがでしょうか。

 

( 奈良国立博物館企画室主任研究員    市川創 )

[読売新聞(奈良県版・朝刊) 2025年10月15日掲載]

春日西塔跡でまどろむ鹿たち(奈良市で)

一覧に戻る